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『遥かなるコンゴ・ドラゴン』
高野秀行
 今からちょうど10年前、私は早稲田大学探検部の仲間とコンゴ人民共和国(現在のコンゴ共和国:首都ブラザヴィル)のジャングルにいた。何をしていたのかと言うと、謎の怪獣を探していたのである。怪獣の名はコンゴ・ドラゴン、現地名モケ−レ・ムベンベ 。それまでの目撃情報によると、ネスコのネッシ−に似た、つまり、恐竜の生き残りかもしれない動物らしい。
 コンゴという国は、国土の約半分が湿地性の熱帯雨林であるが、国家がソ連側に組していたせいで、半鎖国状態、マスメディアはもちろん、研究者も奥地には立ち入れないというまさに「未知の世界」だった。そんな所なら、何がいてもおかしくない。しかもちょうどその頃は、東西冷戦の末期で、この国でも“ペレストロイカ”が始まっていた。国が外国からの人間とそれに付随する金を受け入れようとしはじめた矢先である。「謎の怪獣(できれば恐竜がいい)を探しあて、一躍世界にその名を轟かし、特別機をチャ−タ−して帰国したい」というわれら青二才の野望と「謎の怪獣(できれば恐竜であってほしい)を探しあて、一躍その名を世界に知らしめ、“国おこし”したい」という人口わずか250万人の小国の野望がカチリと音を立てて合わさった。
 私たちはコンゴ政府と重々しい協定文書に調印し、コンゴ第一の生物学者アニャ−ニャ博士ほか数名と合同調査隊を結成、北部のジャングルへ旅立った。しかし、われわれの身の丈に合わない野望は現地で簡単に粉砕された。怪獣が棲むというのは、ジャングルの真ん中にあり、どの川ともつながっていない、つまり孤立したテレ湖という湖であるが、それはボア村という村の聖地とされていて、そこへ行くには、彼らの許可がいる。その彼らが一筋縄ではいかない連中だった。
 話し合いの日に、ヤリを持った男たちに取り囲まれ、身体中に赤いペインティングを施した酋長が通訳を介して演説をする。ときおり、突然タムタムがどこどこ鳴らされたり、角笛がボ−ボ−吹かれ、まるっきりタ−ザンの世界である。政府の代表者であるアニャ−ニャ博士が何を言っても通らない、治外法権の場所だ。
が、彼らは無知な野蛮人などではなかった。入域料と称して、現地のレベルでは法外な金額(もちろんキャッシュ)をふっかけ、話し合いが合意に達した後も、ガイド代、ポ−タ−代、ジャングルで総勢18名もの男が40日も過ごすための大量の食料費を払わされた。
 とにかく、ヤリを持ったガイドとポ−タ−40名ものを引き連れわれわれは、ときにはピグミ−のキャンプ跡に野宿し、ときには股まで沈んでしまう湿地と闘いながら、ジャグルの中を進んだ。これまた絵に描いたような探検だ。
 3日目に突如視界が開け、巨大な湖が姿を現したときには、奇跡を見たかのような感動を受けた。「これなら何がいてもおかしくない」と誰もが思ったものだ。
 実際そこは素晴らしいところだった。これまで人がほとんど立ち入ったことのない「聖地」だけあって、野生動物は並みはずれて多かった。村の射撃とヤリの名手、通称“ゴルゴ”という男が毎日、サルやら野ブタやらカワウソだかを獲っきて、われわれのおかずとした。サルは毛をむしって焼くとヒトの赤ん坊そっくりなうえサル臭く、最初はあまり気が進まなかったが、そのうち慣れた。慣れたと言えば、私たちはありとあらゆるものに慣れていった。毎日、睡眠病を媒介するツェツェバエに刺されるのも慣れた。ボア村のガイドが何かにつけ反乱を起こし、私たちがなだめに行くにも慣れた。メンバ−の一人がマラリヤにかかり毎日40℃の熱が続くのにも慣れた。(今から考えれば、恐ろしいことだ) そして、肝心の怪獣がいっこうに姿を現さないのにも・・・・
 湖はほぼ真ん丸い形状なので、私たちはベ−スキャンプとサブ・キャンプを設け。2ヵ所から、3交替制24時間監視体制をしいた。名付けて“セブンイレブン方式”である。昼は500oの超望遠レンズ、夜は自衛隊が使う「ナイトスコ−プ」なる装置を用意した。5分に1回それを覗いて観察するのだが、その監視の退屈なことと言ったら!
 もちろん、非番の人間は、ゴムボ−トを浮かべて湖を探索してまわった。1週間もしないうちに、ショッキングな情報がもたらされた。「湖の深さは中心部でも2メ−トルです」というのがそれである。ボ−トのオ−ルを突っ込んで計ったというからなおさら悲しくなる。目撃者たちの証言によれば、怪獣は全長10m以上あるという。そんなでかい動物が水面に全く姿を現さず、たった2mの深さの水中に潜んでいられるだろうか?
 3週間を過ぎるころ、われわれは別種の恐しい事実に気づいた。食料がもうほとんど残ってないのだ。私たちはちんと計算し、1ヵ月半はゆうに持つ米やキャッサバを用意したはずなのに、それが予定の半分ですでに底をつきかけている。実は、ポ−タ−たちが大量に盗んでいたのだ。
 以後、私たちの関心は、いつ姿を現すかわからない怪獣より今日の飯に移っていく。一人に割りあてられた食料は米にして一日一合弱。“戦後”という言葉も過去のものになろうとしているこの時代に、私たちは本物の“飢え”というものを経験した。(第3者的に考えるなら、計画を中止して引き揚げればいいことなのだが、そういう発想は全く湧かなかった)
 少しでも量を増そうと、米を粥にしても、ほとんど効果なし。頼るはA級スナイパ−の“ゴルゴ”がもたらす獲物だけだ。
 彼がサルを仕留めて戻ってくると、みんな駆け寄って「こいつは脂がのってそうだ」 「こいつはちょっといつもより小せえなあ」と品評する。
 彼が持って帰るのは、サルやブタばかりではない。全長50cmの大トカゲ、やはり甲羅がさしわたし70cmもある大スッポン、ワニの各種、それに全長3〜5mのニシキヘビがとりわけこの辺には多く、私とゴルゴで協力してヤリで止めたこともある。ニシキヘビで思い出すのは、メンバ−の一人がさかんに「地面がゆれる」と訴えているのに 空腹で他人のことなどかまっていられなくなった私らは、「あっそう、たいへんだねえ」と聞き流していたところ、そのメンバ−の寝床の下から巨大なニシキヘビがでてきてたまげたなんて事もある。大ヘビの巣の上で寝て
たのだ。片っぱしから野生動物を食った私たちだが、ワニ、カメ、トカゲ、ヘビ等のハ虫類は 総じて旨いことを知った。まるで進化の過程を証明するかのように、魚とトリ肉のちょうど中間の味がするのだ。ゲテモノ道の極めつけは、ゴリラとチンパンジ−である。チンパンジ−は村人が獲ってきたが、ゴリラを撃ち殺したのは博士である。彼は常々村人に「ゴリラは国際保護動物だから獲っちゃいかん」と説教していたのだが、自分がゴリラを観
察に行ったとき、近づきすぎたためゴリラに襲われ、あわてて護身用の自動小銃を乱射して殺しちまったのだ。全くしょうがない人だが、おかげでゴリラの肉を味わえた。お味はというと、チンパンジ−の肉にそっくりである。じゃあチンパンジ−の肉はというと、ゴリラの肉にそっくりであった。両方とも形容しがたい味だが、引き締まった赤みの肉は、煮込みすぎて堅くなった牛肉を思い起させた。毛がたくさん混じっているので、一切れ食べるご とに長い髪のような毛が喉にからまった。
 ・・・・というわけで、われわれは怪獣の痕跡さえ見つけられずに、40日のサバイバルを終えた。ただ、1度だけ早朝の霧が深いとき、丸木舟で魚を獲りにいっていた。“ゴルゴ”が「何か黒くでかいものがいる!」と大声で叫んだことがあった。その前夜が嵐で望遠レンズなどの機材を全てテントに撤収していたうえ、霧が邪魔して残念ながらキャンプからは何も見えなかった。
 いったい、霧の彼方にいた「黒くでかいもの」は何だったのだろうか?大ヘビ?大ウナギ?それとも恐竜?−私たちの野望は霧の向こうに消えてしまった。さらば怪獣、伝説の中を生きてくれ。私たちはもちろんチャ−タ−機などではなく、パキスタン航空のエコノミ−クラスにボロボロになった機材と疲れきった身体としかし、何か満足感みたいなものを感じる心を乗せて、日本に帰った。 (終わり)

この詳しい行察は『幻の怪獣モケ−レ・ムベンベを追う』(早稲田大学探険部著/ PHP研究所)を参照下さい。もっとも現在は絶版で買えませので、2003年1月に集英社文庫から「幻獣ムベンベを追え」と改題され、刊行された文庫本をご参照下さい。

高野秀行の他の本 (PR)
『アマゾンの船旅』  (ダイヤモンド社 1990)
 −文庫 『巨流アマゾンを遡れ』 (集英社文庫 2003)
   *「本の雑誌」で2003年の文庫ノンフェクション部門ベスト10
『怪しいシンドバッド』(朝日出版社   1997)
『世界が生まれた朝に』(E.ドンガラ著/高野秀行訳 小学館、1996)
『アヘン王国滞在記』 (草思社、1998)』